金融経済イニシアティブ

なぜ人口は首都圏に集まるのか ~東京一極集中論の虚実

2015.05.07

東京一極集中は本当か?

東京一極集中是正論のなかで、よく聞かれるのが、「東京への一極集中が加速している」という話だ。「東京がブラックホールのように若者を際限なく吸い寄せる」との見方もある。だが、東京都の人口の全国シェアは、50年前も今も10%強で変わらない。事実関係をまず確認しておこう。

参考1は、東京都、首都圏、大阪圏、名古屋圏の人口(1920年~)と同地域の生産年齢人口(15~64歳、1970年~)の全国シェアを示したものである。

グラフから明らかなように、東京都の人口シェアは一極集中の姿からはほど遠い。最近若干上昇したとはいえ、1970年代半ばの水準をようやくとり戻した段階にすぎない。「東京一極集中」とは、人口に限ればあくまで首都圏の話である。

また、首都圏にしても、人口シェアが本当に加速していたのは、(1)戦前(1920年~)と、(2)戦後から1970年頃までの2つの時期である。その後は、――「加速」ではなく――コンスタントな拡大トレンド線上にある。

 

参考1

3大都市圏人口の全国シェア推移       同生産年齢人口の全国シェア推移(1970年以降)


(注)首都圏(4都県):埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県。「東京圏」と称されることが多いが、本稿では、東京都との区別を明確にするため「首都圏」と呼ぶ。大阪圏(4府県):京都府、大阪府、兵庫県、奈良県   名古屋圏(3県):岐阜県、愛知県、三重県
(出典)総務省統計局「人口推計」 を基にNTTデータ経営研究所が作成。

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首都圏の人口シェアは経済成長と高い相関

もう少し詳しくみてみよう。戦後、食糧難からいったん地方に流出した首都圏の人口は、経済復興とともに急速に回復し、高度経済成長とともに急ピッチの増加が続いた。これは、地方在住の団塊世代の多くが、進学・就職を機に3大都市圏に移り住んだ時期と符合する。

その後はコンスタントな拡大トレンド線上にあるが、さらに細かくみれば、日本経済の振幅に応じて加速・鈍化が繰り返されてきたことが分かる。

すなわち、首都圏の人口シェアの拡大テンポは、(1)1970年代前半のオイルショックで鈍化したあと、(2)1980年代後半のバブル期に加速、(3)1990年代のバブルの崩壊とともに再び鈍化したあと、(4)2000年代に入り勢いを取り戻したが、(5)2000年代後半のリーマンショックで再び鈍化、という過程を辿ってきた。

このように、首都圏の人口シェアと経済成長との相関はきわめて高い。これは、首都圏の経済が、人口集積のメリットを活かしながら、日本経済をリードしてきたことの証だろう。首都圏一極集中の是正を議論する際には、やはり日本経済全体への影響に関する評価が欠かせない。

人口流入がなければ東京や首都圏の経済はもたない

ところで、「東京一極集中が加速している」との見方が生まれた背景には、1990年代後半以降、東京都や首都圏への人口流入が続いていることがある(参考2)。大阪圏、名古屋圏の人口流出入がほぼ均衡しているのに比べ、対照的だ。地方からみれば、とくに若者たちの東京への流出が気になるところだろう。

 

参考2  3大都市圏の人口転入超数推移


(出典)総務省統計局「住民基本台帳人口移動報告」を基にNTTデータ経営研究所が作成

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にもかかわらず、上述のとおり、東京都の生産年齢人口の全国シェアはほとんど変わっていない。他地域からの人口流入はあっても、生産年齢人口が大きく増えているわけではない。これは、東京都内部で生じるマイナス要因――出生数(15年後の15歳到達人口)や65歳到達人口――が、他地域との人口流出入から生じるプラス要因を相殺してしまっているからにほかならない(参考3)。

第1に、東京都の出生数は、1970年代半ばまで急増を続けたあと、急速な減少に転じ、2000年代前半まで一貫して減少を続けた。

1970年代半ば以降の出生数の大幅減少は、15年後に生産年齢人口参入数の急減となってあらわれる。足元の同参入数は、1980年代前半の1/2以下にまで縮小している(1980年代前半110万人→2000年代後半50万人)。

第2に、65歳に到達し、生産年齢人口から離脱する者の数は年々増加している。高齢化による生産年齢人口離脱数は、足元では1980年代前半の2倍以上に達している(1980年代前半38万人→2000年代後半81万人)。

 

参考3 内部要因による生産年齢人口の増減数推移(東京都)


(注)生産年齢人口への参入数(内部要因):15年前の時点での出生数

生産年齢人口からの離脱数(同):65歳到達人口=5年前の時点での60~64歳人口
生産年齢人口の増減数(同)=生産年齢人口への参入数-生産年齢人口からの離脱数
東京都への転入超数は非生産年齢人口を含む。2011~15年は11~14年実績を5年換算している。
(出典)東京都福祉保健局「人口動態統計」、総務省統計局「国勢調査」、同「住民基本台帳人口移動報告」を基にNTTデータ経営研究所が作成

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この結果、内部要因による生産年齢人口の増減は、それまでプラスであったものが、1990年代後半にマイナスに転じ、その後もマイナス幅を拡大している。これは、他地域との人口流出入が1990年代後半からプラス(流入)に転じ、その後プラス幅を拡大したのと、見事に符合する。

以上は東京都の動向だが、首都圏も状況はおおむね同様である。出生率は4都県とも全国順位で40位台の低位にある。他方、65歳以上到達人口は足元で大幅に増加している。

もちろん、出生数の減少や高齢化は全国的な現象だ。しかし、東京都や首都圏の場合、出生率がとくに低く、かつ、他県に比べ高齢化が遅行してきた分、少子化、高齢化の影響が足元で色濃く出る構図にある。

日本経済への示唆

以上を要約すれば、東京都や首都圏は「出生率の低さと高齢化にあえぐ地域」である。他地域との人口流出入は、東京都や首都圏が日本経済をリードし続けていくための調整弁として機能してきた。「ブラックホールのように東京が若者を際限なく吸い寄せる」というイメージとはかなり異なる。

しかも、2010年前後から、東京都や首都圏の内部要因による生産年齢人口のマイナス幅は、他地域からの人口流入で補いきれなくなってきている。全国的な少子化の結果であるが、事態は深刻である。

そうであれば、重要なことは以下の3点だろう。

第1に、団塊世代を中心とする高齢者に労働市場にとどまってもらうことが重要である。少しでも長い間労働力として、経済の拡大に貢献してもらうことが必要となる(2015年1月「なぜ私たちは70歳代まで働かねばならないのか」 参照)。

第2に、出生率を引き上げること、とくに東京都や首都圏の出生率を引き上げることが重要だ。この地域の出生率の低さこそが、巡り巡って地方の人口流出を促し、地方への負担をもたらしている。

第3に、地方経済の活性化には、首都圏に勝る(あるいは、首都圏にない)競争力のある産業をもつことが必須となる。仮に競争力のある産業をもたないまま、首都圏への人口移動が止まるようなことがあれば、日本経済、ひいては地方経済に打撃が及ぶ。

3大都市圏経済と地方経済が、それぞれの比較優位を活かしながら有機的につながることが重要である。

以 上

 

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