なぜ個人消費は低迷するのか ~貯蓄を増やし続ける高齢者
2021.12.01経済学の学説に「ライフサイクル仮説」がある。一生涯を通じてみると、現役の間は所得の一部を貯蓄に回し、引退後は貯蓄を取り崩して消費に充てる、というものである。貯蓄は将来の消費のため、というわけだ。
きわめて自然な考え方にみえるが、実際には、日本の高齢層は引退後も貯蓄を増やし続けている。あくまで「世帯平均」の話だが、どうしてこうなるのだろうか。
80歳以上も金融資産は増える
参考1は、2人以上世帯と単身世帯の金融資産残高と負債残高を、それぞれ年齢階層別にみたものだ。
(参考1)2人以上世帯、単身世帯の年齢階層別金融資産・負債残高
(出典)総務省統計局「2019年全国家計構造調査」を基に筆者作成。
このうち2人以上世帯(折れ線・実線)は、年齢を重ねるにつれてネットの金融資産残高が増える。最大の特徴は、80歳以上に至っても、わずかながらも増加が続くことだ。約7割は預貯金である。
一方、単身世帯(折れ線・点線)をみると、ネット金融資産残高は60歳代をピークに、70歳代、80歳以上へと減少していく。これは、配偶者に先立たれ、「2人世帯」から「単身世帯」に移行する世帯があるからだろう。
「単身世帯」への移行は、子どもたちに財産の一部を相続させた後となるので、ネット金融資産残高は減っている。ライフサイクル仮説でいう「消費のための貯蓄取り崩し」ではない。
もちろん、上記データはあくまで「世帯平均」だ。高齢になるほど世帯間のバラツキは大きく、平均残高は富裕層に引きずられがちであることに留意が必要だ。
消費を抑制する高齢者
ネット金融資産残高の増加は、消費支出が収入の範囲に抑え込まれていることを意味する。高齢世帯の収入は過半が年金と社会保障給付だが、一部に事業収入や勤務先収入もある。事業収入などを得ている世帯は、かなりの部分が貯蓄に回しているということだろう。
参考2は、2人以上世帯の可処分所得、消費支出の年齢階層別にみたものである。引退後の消費性向(消費支出/可処分所得)は現役世代に比べれば高いが、上昇幅はさほど大きくなく、消費支出は収入の範囲内に収まっている。
(参考2)2人以上世帯の年齢階層別収入、支出の金額
(注)支出は、月間データを年換算したもの。
(出典)総務省統計局「2019年全国家計構造調査」を基に筆者が作成。
高齢者の行動原理
海外には、高齢化社会が到来すれば、物価が再び上昇しやすくなるとの見方がある。現役世代の人口減少で労働力が不足する一方、高齢者は貯蓄を取り崩して消費を続ける。この結果、財・サービスの需給がひっ迫するとの見方だ。しかし、日本の高齢者の消費行動を見る限り、そうなるかは分からない。
もちろん、高齢者が「消費」していないわけではない。高齢者の消費の過半は、医療や介護への支出である。そのかなりの部分は、個人の負担でなく、国によって負担されている。GDPでいえば、個人消費でなく、政府最終消費支出にカウントされていることになる。
それにしても、高齢者がいつまでも多額のネット金融資産を抱え続けていることには、疑問が残る。その理由は、次のようなものだろう。
第1に、自分が何歳まで生きるかが分からない。80歳に至っても、この先なお20年以上あるかもしれない。収入は減り、この間を余裕をもって生活していけるかどうか不安が残る。このため、高齢になっても節約に努める。結果的には、多くの財産を残したまま生涯を終えることになるが、あくまで結果論だ。
第2に、残った財産は家族に相続できる安心感がある。仮に遺産に100%の税をかけることにすれば、高齢者は消費を加速させるだろう。その一方で、想定外に長生きしてしまい、生活費が足りなくなる人が増えてしまう可能性がある。
高齢者の消費を喚起するには
では、高齢者の消費を喚起するにはどうしたらよいか。一つは「どこまで長生きするかが分からないために貯蓄を続けている」ことへの対処だろう。
本来ならば、年金は、長生きした時の「保険」として機能するものだった。しかし、60歳代半ばから支給される公的年金は、すでに個々人の生活設計に組み込まれており、保険としての機能は弱い。
そうであれば、高齢者が想定を超えてさらに長生きした場合に備え、生活不安を取り除けるような新しい保険設計を考えてみてはどうか。そうした保険を提供できれば、貯蓄を溜め込むインセンティブは低下するはずだ。ただし、多くの高齢者の健康状態や、高齢になってからの「保険料一時払い」への抵抗感を踏まえれば、民間による商品開発は難しいかもしれない。
もう一つは、課税を強化し、所得再分配に回すことだ。高齢者の世帯間のバラツキを踏まえれば、所得再分配はマクロ的には有効な手段だろう。①金融所得課税(株式配当金などに課される税率)の強化や、②医療費、介護費にかかる個人負担割合の所得制限の強化などである。
より大きな論点としては、資産課税(財産税、富裕税)の問題がある。富裕層は、資産を金融資産だけでなく、不動産等の実物資産に分散させている。このため、課税を強化するとすれば、実物資産を含めたものにするのが適当だ。ただ、現時点では公的当局による実物資産の捕捉は弱く、実効性のある制度をつくるのは容易でない。
相続に伴う格差の拡大
相続税も重要な課題である。戦後の出生率低下の結果、被相続人に対する相続人の比率は今後劇的に低下していく。これまでは、一組の夫婦の相続財産を兄弟姉妹3~4人で分けていたものが、今後は2人未満で分けることになる。すなわち、1人が相続する財産の割合が高まる。
そうなると、親からの相続財産の多寡によって、大きな格差が生まれることになる。50歳代、60歳代の相続年齢になって、改めて知る「親ガチャ」というわけだ。
相続税の強化は、避けられないことだろう。しかし、財産をつくる過程で、個々人の努力があったことも間違いない。単純に国や地方自治体が財産を税によって取り上げるのは、長い目でみれば、「働くこと」へのインセンティブを弱めかねない。海外には相続税の仕組みがほとんどないため、人材の海外流出も懸念される。
個々人の努力にはそれなりに報いる仕組みが必要である。それも、金銭によらない「報い方」が望ましい。
どれほど有効かは定かではないが、例えば、一定の「名誉」を付与する仕組みを考えてみてはどうか。遺産の国への寄付をあらかじめ約束してくれた人には、他界後の一定期間、公共施設に個人名を冠したり、掲示するといった工夫である。
「ふるさと納税」のように、寄付を名目としながら人々の「お得感」を煽り、税収を減らしてしまう仕組みに比べれば、よほど真っ当に思うが、どうだろうか。
以 上
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