「円安は日本経済にとってプラス」は本当か?
2022.05.06消費者物価(生鮮食品を除く総合)が、4月にも前年比2%台に達する可能性が出てきた。世界的な資源価格や穀物価格の高騰が、国内にも波及している。為替市場では、内外金利差の拡大を背景に円安が進む。
それでも日本銀行は、異次元緩和継続の姿勢を崩さない。①物価のプラス幅はいずれ縮小すること、②円安は日本経済にとって全体としてプラスであること――を理由とする。
為替相場に関する日銀の見解は、「経済や金融のファンダメンタルズを反映して安定的に推移することが望ましい」というものだ(4月28日黒田東彦総裁記者会見)。
これに「円安は全体としてプラス」との主張を重ねれば、日銀は足元の円安進行をおおむね「ファンダメンタルズに沿った動き」と見なしているということだろう。そうでなければ、辻褄が合わない。
しかし、円の実質実効為替レートは、1971年末以来の円安水準だ。本当にファンダメンタルズに沿った動きと言えるか。為替相場を規定する「経済のファンダメンタルズ」とは何か。「円安が日本経済にとってプラス」は、本当か。
(注)「実質実効為替レート」とは、相対的な通貨の実力を図るための総合的な指標。相手国・地域の貿易額で加重平均した「名目実効為替レート」に、内外の物価変動率格差を控除して算出した指数。
「円安はプラス」の根拠
「円安が日本経済にとってプラス」とは、もっぱら景気、物価への影響に焦点を当てた見方だ。
例えば、円安が進めば海外からの観光客が増え、消費(=サービス輸出)が押し上げられる。新型コロナウイルスの感染が収まりきらない現状では期待薄だが、状況が落ち着けばその効果も現れるだろう。
もう一つの重要な経路は、海外投資収益の押し上げである。企業が海外投資で得た収益は、円建てで国内に還流する。円が安くなれば円換算額が増え、海外からの所得が膨らむ。
ただし、海外投資収益のすべてが国内に還流するわけではない。およそ3分の1は海外での再投資に充てられ、残りが配当金等として国内に流入している。
国内資源の安売り、購買力の低下
しかし、円安が景気にプラスに働く背後には、円の対外価値の減価がある。円安は、海外の人にとっては対外購買力の向上であり、日本国内の労働力や資産を安く入手できることを意味する。逆に、日本の人にとっては対外購買力の低下である。
海外からの観光客が日本で安くサービス供与を受けられるのは、円安で国内の労働力が安売りされているからにほかならない。観光業に従事する人々の収入が増えるとしても、その収入で海外から買えるモノは減っている。
海外投資も同様である。円安で投資収益の円換算額が増える一方で、海外への投資コストは膨らみ、直接投資の機会が縮小する。足元、順調に拡大している海外投資収益だが、これは円高時代に行われた直接投資の成果であることを忘れてはならない。
異次元緩和後、対外価値でみた「国富」は3割弱の減少
では、国内資源の対外価値はどれほど減価しただろうか。参考1は、日本の国富を実質実効為替レートで割り戻して、指数化したものである。国富とは国民全体が保有する資産から負債を差し引いたものを言い、内閣府の国民経済計算に「正味資産」として計上されている。
(参考1)実質実効為替レートで換算した日本の国富の推移(2010年=100)
(注)2021年末および2022年3月末は、2020年末の国富(円建て)を横ばいと仮定して試算。ただし、国富のうち対外資産(ネット)は、円安分を名目実効為替レートで割り戻して加算してある。
(出典)内閣府「国民経済計算」(2015年基準)、日本銀行「実質実効為替レート」を基に筆者が作成。
実質実効為替レートで換算した国富は、90年代半ば以降大きく減少した。目立つのは、2013年春の異次元緩和開始以後の減少ぶりだ。
換算後の国富は、2012年末から20年末までに約14%減少した。その後につき一定の仮定を置いて試算すると、12年末から22年3月まででは累計約27%減少した計算となる。
この姿を見れば、異次元緩和がいかに円安に多くを依存した政策だったかが分かる。国内資源の対外価値を引き下げることで、景気の拡大を図ろうとした政策だった。
経済のファンダメンタルズとは
もちろん、対外価値だけを重視して、足元の景気悪化を無視していい話では全くない。他方、円安は景気にプラスだからと言って、円安指向を続ければ、国民生活はいつまでも豊かにならない。
「経済のファンダメンタルズ」とは、いわばフローとしての景気、物価と、ストックとしての国内資源の対外価値のバランスの上に成り立つ概念と考えるのが自然だろう。
改めて、円の対外価値を示す実質実効為替レートの推移を見ておきたい(参考2)。
(参考2)実質実効為替レートの推移(2010年=100)
(出典)日本銀行「実質実効為替レート」を基に筆者作成。
足元の実質実効為替レートは、すでに1971年末頃の水準に下落している。71年末とは、同年8月のニクソンショックで1ドル=360円の固定相場が瓦解した後、12月のスミソニアン協定で一時的に1ドル=308円の固定相場が合意された時期である。
しかし、1ドル=308円も、当時の経済のファンダメンタルズに照らせば円安に過ぎた。そのために73年2~3月に固定相場制は完全に瓦解し、以後、変動相場制に移行している。
筆者には、足元の日本経済のファンダメンタルズが、「当時の1ドル=308円並み、ないしそれ以下」とは、にわかには信じ難い。当時の日本経済は、まだ発展途上にあった。円安指向の異次元緩和が、円相場をファンダメンタルズから大きく乖離(かいり)させてきたように見えてならない。
もっとも、その証明は容易でない。為替相場がフローとストックのバランスの上に成り立つものである以上、議論は水掛け論に陥りやすい。
唯一の手掛かりは、相場を金融・為替市場の市場メカニズムに委ねることである。市場が常に正しいとは限らない。しかし、為替市場は内外市場参加者のファンダメンタルズに対する見方を集約する場である。手掛かりを得るのに、これ以上のものはないだろう。
にもかかわらず、日銀は長期金利の変動を「ゼロ±0.25%」の範囲に抑え込み、金融・為替市場の機能が働かないようにしている。こうなると、市場からファンダメンタルズの手掛かりを得ることはできない。
市場機能の回復を
円安が日本経済にとってプラスかどうかは、ファンダメンタルズの上下どちらに乖離(かいり)しているかによって決まる。ここを誤解してはならない。
そのためにはファンダメンタルズのありかを知りたいところだが、金利機能を止めてしまっては、市場が経済のファンダメンタルズを探ろうとする動きも阻害する。
市場機能を活用するとは、簡易な方位磁石を使って目的地の方角を見定めようとする動きに似ている。多くの市場参加者が自らの判断で取引を繰り返すことで、大まかな目的地の方角が分かってくる。もし市場機能を止め、磁石を使えなくすれば、目的地の方角だけでなく、自分と目的地の位置関係も分からなくなる。「円安が日本経済にとってプラス」との主張も、甚だ心もとない。
早く長期金利を弾力化し、市場機能の回復を図ることだ。
中央銀行は、市場機能を尊重する存在であってほしい。そうでなければ、資源配分が歪み、競争が劣化し、経済の効率性が低下する。その姿を、私たちは社会主義国でいやというほど見てきた。
以 上
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