ブラックアウト(北米北東部大停電) ~陽気なアメリカ人やら
2019.08.162003年8月14日(木)、米国東部時間夕刻。
当時の勤務先のニューヨーク事務所で、いつものように仕事をしていた。
前触れなく、突然、部屋のあかりが消えた。ビルの全館停電らしい。
築40年を超える古いビルだ。やれやれ、復旧まで一体どれくらいかかるか、、、と、思っていた。
だが、どうも様子がおかしい。
オフィスのある59階から見下ろすと、家路を急ぐ人々がイーストリバーの橋の上を歩いている。普段ならば、地下鉄を使うはずだ。
あわてて備えのラジオを取り出す。
北米北東部大停電(ブラックアウト)の始まりだった。
働く
停電は、ニューヨーク、ニュージャージー、コネティカット、オハイオ、ミシガンなどの各州から、カナダのオンタリオ州にいたるまで、想像を超える広域に及んでいた。復旧の目途はまったく立たない。電車もすべて止まった。
と、なると、まずは仕事だ。
当時の仕事の一つは、日系金融機関の資金繰りや業務の状況を把握し、米国の中央銀行であるニューヨーク連邦準備銀行と連携して、必要な対応をとることだった。
早速、総勢数名の同僚とともに、日系の銀行、証券会社の現地支店、現地法人に電話し、「本日の業務は完了しているか」、「明日は業務を遂行できるか」、「代替オフィスやバックアップシステムの備えはあるか」などを聞いてまわる。その結果を東京本店とニューヨーク連銀に伝え、万一に備え、対応策を確認した。
と、突然、電話が切れた。
しまった!
これまでオフィスの電話が使えていたのは、サーバーに残っていた電力のおかげだったのか。
気付かぬまま、使い切ってしまった。
幸い仕事は一段落しつつあったが、あとは携帯電話に頼るしかない。しかし、当時の米国の携帯は充電があまりもたない。
同僚と効率的な携帯の使いまわしを協議する。あわせて、ワシントンDC事務所の同僚にも支援を頼む。
オフィスをあとにする
夏の夜も次第に暗くなってきた。
電車が止まっているので、郊外に住む職員はオフィスに足止めされる。
家族と連絡をとれない職員が2名。そのうちの1人が私だった。
当時単身赴任だった私のもとには、たまたま夏休みで家族が来ていた。自宅に電話をかけてもつながらない(「留守電機能つき」だったので、電力がなければつながらない)。家族は米国で使用可能な携帯電話をもっていない(当時としては普通のことだった)。
その日は出かけると言っていた。一体、どうなった?
夜、やるべき仕事をすべて終え、いったんマンハッタン内の自宅に戻って家族の安否を確認することを決断する。
オフィスに残留する同僚と翌朝と緊急時の段取りを確認したうえで、非常時用バッグを背負ってオフィスを出る。
出発前に、同僚に一言付け加える。
「明朝までに、電力が回復していなかったら、水と食料をもって上がってくるから、安心するように。」
59階から地上へ
59階から1階まで、非常階段をひたすら下った。
30分以上かかった。
ぐるぐるとまわり続けて、眼も回る。
地上に降り立ったときは、足元がおぼつかない。
ロビーから外に出て、すぐにオフィスに携帯電話をかける。
「悪いけど、さっき最後に言った水と食料の件。アレなかったことにしてくれ、な。」
歩く
そのあとは同僚とマンハッタン内を3時間半、ひたすら歩いた。
幸い夏の夜だったので、人々は路上に出て、おしゃべりをしている。どことなく、楽しげな雰囲気すらある。
信号はすべて消えていたが、周辺の住民が交差点の真ん中に立ち、交通整理をしてくれる。
この街は1970年代にも大停電があり、その時には大規模な略奪があったそうだ。それに比べ雲泥の差。9.11以来、米国民の結束力が高まったという。
陽気なアメリカ人
ともに歩いた同僚と別れ、自宅のアパートに着いたときには、すでに夜の帳(とばり)が下りていた。どの建物も、非常電源以外は真っ暗だ。
このアパートも、非常階段以外は暗闇の中。エレベータを使えない住人の多くが、暗いロビーに息をひそめて座っている。近づいて一人一人の顔を確認するが、私の家族は見当たらない。
部屋に戻ったか、それとも、まだ外をさまよっているのか?
仕方ない、まずは自宅の部屋に戻ろう。
だが、自宅は28階だ、、、Oh, My !
非常階段をのぼり始めるが、10階まできて、いよいよ脚がもつれる。ついに階段にへたり込んでしまった。
そこへ、階段をのぼりおりする住人たちが、“Are you all right?”と次々と声をかけてくる。
しかし、日本語ですら億劫なのに、英語で説明する気力はまったく残っていない。
陽気で、親切で、お節介なアメリカ人に、“I’m OK.”、“No problem.”だけでやりすごそうとする自分が、なんとも情けない。
地上から28階へ
そこからが苦しかった。這いつくばるように3フロアのぼっては、階段に座り込む。これを繰り返す。30分ほどかかっただろうか。やっと28階にたどり着いた。
脚を引きずりながら、自宅のチャイムを鳴らす。が、誰もでてこない。
やばぃ。。やはり帰宅してないか、、、
ん?待てよ。。。
チャイムも電力が必要では?
念のため、ほとんど倒れ込むようにドンドンとドアを叩く。
しばらくすると、ひょっこりドアが開き、妻が顔を出す。。。
「おや、どぅしましたぁ? ( “Are you all right, hmmm…?” ) 」
うしろから子どもたちが「どぅした、オヤジ(大笑)」
陽気なのは、どうやらアメリカ人ばかりではないようだ。
アイスクリーム
幸い、家族は自宅にいた。
私は脚をつって、動けない。
ガスは火がつかない。
料理もできない。
その夜は、家族でアイスクリームだけを食べて過ごした。
急げ、急げ。早くしないと、溶けちゃうぞ。
(注)のちに分かったことだが、「ガスが使えない」というのは勘違いだった。あの、カチカチいう点火装置が電力を必要としているだけだった。抽斗に眠っていたマッチを使えば、よかったのだ。
(イラスト:鵜殿かりほ)