私が知恵を失った日
2020.01.16「親知らず」は英語で “wisdom tooth” という。訳せば「知恵歯」だから、日本語の別名と同じだ。
40年前。留学先に出向く直前、現地・英国の英語学校に短期間通った。
ある日、ホームステイ先でひどい頭痛に襲われた。
ホストファミリーに相談すると、近くに家庭医(general practitioner)があるから、行けという。
スプーン
さっそく医院に出かけると、そこには懐かしい開業医の風景があった。何人もの患者が心細そうに診察室前のソファに座っている。
私の番が来た。たどたどしい英語と身振り手振りで、どれほど頭が痛いかを訴える。
医者は聴診器を手に取り、私の胸に当てる。続いて、喉をのぞきこむ。
と、やおら机のひきだしからスプーンを取り出した。
ん?何をする?、、、と思う間もなく、私の歯を次々に叩き出す。。。
右の奥歯に達したとき、、、イテテテテッ!
激痛が走る。
家庭医「ふ~む。これは歯痛だな。英国では“tooth”と”ache”で、”toothache” というぞ。」
私(いや、ここで英語の解説はいいから)
家庭医「歯科医に診てもらうことだな。町の歯医者を紹介してあげよう。」
私「お、お、お願いします。明日の朝、一番で行きます。」
しかし、ここは英国の片田舎だ。
町の歯医者に行くには、タクシーしかない。
片道10ポンド(当時の為替レートで約4,300円)以上かかる。
ふところの方も、イテテテテッ!である。
社会保障
しかし、背に腹は代えられぬ。翌朝、さっそくタクシーででかけた。
歯医者はいろいろ診たあげく、なにやら小さな板状のものを持ち出してきた。
私 “ん?”
歯医者 “Bite !”
私 ”What?”
歯医者 ”Bite !”
私(Biteはたしか「嚙む」だったな。。。しかし、嚙め、とはなんだ?こんなものに噛みついたら、きっと「東洋の端から来た野蛮人」と思われるだろうな。それにしても、一体、なんの聞き間違いだろう?。。。)
躊躇していると、医者と看護師がわざわざ寄ってきて、口を開き、噛む仕草をしてみせる。
私(なんだ、やっぱり「噛む」かぁ。。。それにしても、一体なにごとだ?)
当時の日本には、まだ歯のX線写真は普及していない。
いまから思えば、X線撮影を知らないことの方が野蛮人だった。
医者はX線写真を眺めた末、解説を始める。
歯医者「この歯はやはり抜いた方がいいな。虫歯が相当進んでいるぞ。どーする?」
私「は?、い、いや、お願いします。ともかく痛いんです。抜いてください。」
歯医者「ふむふむ、そーか、それは結構。では、抜く日を決めよう。予約がたくさん入ってるから、早くて2週間後だな」
私「え、えっ~~!?」
当時の英国は、社会保障が「充実」していた。治療費も、薬代も精々1ポンド(当時430円)程度。
往復のタクシー代20ポンドが、いまさら恨めしい。
その代わりに、医療現場の需給バランスは大いに崩れていた。何日も待たされるのが、日常茶飯事のようだった。
サッチャー政権が社会保障改革に着手するのは、その後のことである。
抜歯
翌日、痛みをどうしても抑えきれず、再び歯医者に向かった。
歯医者は「おぉ、やっぱり来たか」と、どことなく嬉しそう。
さっそく、その場で抜いてくれることになった。どうも患者としてのランクが「緊急を要する者」に格上げされたようだ。
X線写真こそ現代的だったが、抜歯の方は相変わらずペンチで力任せに引き抜くやり方だ。
下の奥歯だったために、なかなか抜けず、えらく時間がかかった。
ようやく抜けた。
歯医者「お~、やっと抜けたぞ。」
私「は、ありがとうございます。」
歯医者「いやぁ、よかった、よかった。何よりだ。」
「ところで、だ。相談なのだが、英国では「親知らず」は小さい頃に全部抜くことになっているぞ。君もこの際、残りの3本を抜いたらどうか。」
私「え、えっ~~!」
「し、し、しかしですよ、私は1か月後には遠く離れた大学に向かわねばならんのですよ。」
歯医者「No problem at all!だ。 2週間で3本抜くよう、予約を入れてあげよう。」
私「ひ、ひぇ~~っ!」
こうして、私はその後2週間かけて残る3本のwisdom teethを抜き、すべての知恵を失った。
(イラスト:鵜殿かりほ)