通信の秘密
2020.04.16武蔵野にNTTの技術史料館がある。
ベル電話機に始まり、黒電話、自動車電話からモバイルまで、一連の機器が展示されている。一つ一つに自分自身の思い出が重なるのは、人間がコミュニケーションの動物だからか。
手紙
1980年代半ば、米国にはじめて赴任した。当時、日本への私的な連絡は、もっぱら手紙だった。国際電話は料金があまりにも高かった。
両親はニューヨークへの来訪を楽しみにしていたが、父が病に倒れ、そのまま闘病生活に入った。結婚したばかりの妻は、1~2週間に1度、現地の生活ぶりを手紙にして、両親に送ってくれていた。
父は、1年半ののち亡くなり、来訪はかなわなかった。母によれば、病院のベッドで妻からの手紙を何度も読み返していたという。
手紙は、電話やスマホなどとちがい、想像力をかき立てる。
おかげで、私は親孝行な息子ということになっていたらしい。妻もよく書き続けたものだ。筆不精の私としては、シメシメといったところだが、いつまでも妻に頭のあがらぬ理由でもある。
国際電話
当時、一番厄介だったのは、私も妻もどうしても思い出せないことがでてきたときだ。いまならば、スマホで検索すれば済む話だが、当時はそうはいかない。
散々思い出そうとしたあげく、仕方なく国際電話をかけた。
妻「もしもし、お母さん?」
妻の母「おや、元気かぃ?」
妻「うん、元気。で、いまからちょっと歌うから、曲名わかったら教えて」
妻の母「は?」
妻「じゃ、歌うからね。『いつものよぅに、幕があき、ナンチャラカンチャラ、あれは3年前、ナンチャラカンチャラ』」(以上、超高速回転で)
妻の母「あ~、ちあきなおみの「喝采」ね」
妻「あ、そっか。」
(私:そう、そう、喝采だった、あ~すっきりした)
妻「どうも、ありがと。」
妻の母「で、なんの用かぃ?」
妻「いや、とくに用はないの。じゃ、またね」(ガチャ)
妻の母「へ?」
DJ
それが、いまやスカイプを使えば、国際通話もタダだ。
10年ほど前、1年間の米国留学を終えて長男が帰国した。
長男「おれ、ラジオ局のDJやったんだぜ。」
私「ん?どぅゆうこと?」
長男「いや、大学にインターネット放送局があってさ。学生がDJやって、音楽を流すんだ。」
私 「ほぅ。英語でか?」
長男「そりゃ、ま、そうさ。ま、音楽の方が、時間は長いけどな。」
私「ふむ、で、一体だれ向けの放送だ?」
長男「いや、ネットだから、世界中に発信してる」
妻「教えてくれりゃ、聴いたのに」
長男「いや、いいんだ。リスナーは世界中にいるから」
私「ふ~ん。しかし、いったい何人が聴いてるか、分からんじゃないか」
長男「いや、そこがそうじゃないんだな。放送側局は、何人がネットにつながっているか、分かるんだ」
私「お~、すごいな。で、何人が聴いてた?」
長男「えっっっ、、、、まぁ。」
私「ん?」
長男「ん~~、たしか5人だったかな」
私「ん?なんと?」
長男「いや、5人ぐらいだったか」
私「え!、、、、5人?。。。。全世界で!?」
テレビ会議
いまでは、さらに進んでWeb会議の時代だ。私のところにも、スカイプでWeb会議ができるか、問い合わせが来る。
まずは、妻を相手に自宅でテストしてみる。
私「もしも~し」
妻(隣の部屋で)「もしもし。」
私「音声しか聞こえんぞ。」
妻「どすれば、いい?」
私「テレビのアイコンのボタンを押す」
妻「そぅ、分かった、、、、、ゲゲッ」
私「どした?」
妻「いや、私の顔がヘン」
私「そぅ?それよか、僕がすごく老けて見える」
妻「そぅ?それ、いつもの顔よ」
私「え?、そちらもいつもの顔だぜ」
妻「む。。。もう切る」
私「いや、ちょ、ちょっと待て、これでは会議にならんぞ」
妻「いいから、もう切る」(×ボタン)
私「。。。。」
(イラスト:鵜殿かりほ)