料理修行
2020.05.16ごく一般的な、昔の日本家庭に育ったために、料理を身につけることはなかった。
小さいころの記憶といえば、家庭科の授業でほうれん草のソテーをつくったぐらいだ。
おかげで、単身赴任の際には苦労することになる。
そんな話を職場の先輩にしていると、「料理なんて簡単だ」と言う。
「マグロのぶつ切りと納豆を買ってきてな、しょうゆと混ぜて、ご飯の上にのせる。ほれ、『マグロ納豆どんぶり』の出来上がり。」
ふ~む、料理人の片隅にもおけぬな。
そうめんI
無類のそば好きでもあるので、結局、麺類が中心となる。
15年ほど前。NYの夏は暑い。日本料理の材料店でそうめんを仕入れ、さっそくつくる。
氷水に、めんつゆ、薬味、ビールを用意したあと、そうめんを二束茹でる。
ザッとあげて、ざるにとる。
水で洗う。
と。ありゃりゃ?
なぜか一束、赤いコヨリで結束されたままだ。
はて、どうしたことか。。。
ま、いいか。茹でた以上、食べられるだろう。
コヨリを切ってほぐし、もう一束と混ぜて、氷水につける。
よし、いい感じだ。缶ビールを片手に、麺をつゆに浸す。
が、、、口にすると、半分の麺が、中央部に芯を残したままだ。
う~む、なんとも、なま固い。
というか、まずい、ともいえる。
アノ一束は捨てるべきだった。
しかし、いまさら、1本1本を選り分けるわけにもいかない。
「マグロ納豆どんぶり」にしておけばよかった。。。
そうめんII
20数年前、東京で。
なぜ、そうなったのかはよく覚えていない。ある日曜、妻が日帰りで、私の母の見舞いに大阪の病院まで出かけることになった。
よし、子どもたちの食事は私に任せておけ。
昼。おなかをすかせた長男(小3)、長女(幼稚園)を食卓につかせ、腕によりをかけてチャーハンを作る。
留学時代に覚えた本格派だ。
まずは、たっぷりの油を中華鍋で熱し、とじ卵を流し込む。卵がボワッと膨らむ。いいね。
卵のボワッを取り出し、ねぎ、しょうが、にんにくを炒める。野菜を加える。卵を戻して、最後にご飯も炒めて、調味料で味を調える。
お~、いかにもうまそうではないか。
だが、子供たちは、おいしいともまずいとも言わず、そそくさと席を立つ。
ん?
私も口にする。
う、まずぅ。
いかにも油が多すぎる。べちゃべちゃではないか。
まぁ、いい。子供たちには、人は失敗して成長することを教えておこう。
夕食。
で、結局、そうめんとなる。
氷水と薬味を用意し、そうめんを三束茹でる。
ザッとあげて、ざるにとる。
水で洗って、氷水につける。
ほれ、出来上がり。
と。ありゃりゃ?
どこを探しても、めんつゆが見当たらない。
子供たちは、いまや遅しと食卓で待つ。
私「ア~、ちょっと君たち、お父さんは用事ができたので、少しそのまま待つよーに。」
脱兎のごとく、スーパーマーケットへと走る。
めんつゆを手に入れ、20分後、自宅に戻る。
長男、長女の「お帰り」の声が、明るく響く。
よし、よし、心待ちにしていたか。
が、キッチンに向かうと。。。
大阪から戻った妻が、台所で別の料理をつくっているではないか。
私「あ、いま、そうめんをつくってるところ」
妻「うん、でも、完全に伸びちゃったからね、あなただけでも食べてみる?」
私「あ、いや、その」
みると、子供たちはとてもうれしそうに、妻の料理を待つ。
フン、裏切りものたちメ!
(イラスト:鵜殿かりほ)