金融経済イニシアティブ

親の背中を見て育つ、、、?

2020.12.16

20数年前の話。

 

週末はよく自宅で仕事をしていた。

講演原稿を書くことも多かった。

 

いまとなっては働き方改革に反するが、当時はそのような意識はなかった。

使うのも、ワープロ専用機。

電話回線やインターネットにつながっているわけでもなく、おかげで原稿の流出懸念もなかった。

 

 

長男、小1。

ワープロにへばりつく私の背後で、やたらにうるさい。

 

長男「ねぇ、ねぇ、遊ぼうよ!」

 

私「だめだめ、しごと」

 

長男「ふ~ん、いつ終わんの?」

 

私「ん~、まだまだかな」

 

長男「ふ~ん、つまんないねぇ。そこ、なんて書いてあんの?」

 

私「ん~、『私からの話は以上である』だ」

 

長男「なに、それ?」

 

私「ん~と、文章の終わりにはいつもそう書くんだよ」

 

長男「ふ~ん、じゃ、おしまいだね、遊ぼうよ」

 

私「だめだめ。文章は一度書いても、何度も見直さなきゃ、ね。」

 

長男「ふ~ん、つまんないねぇ」

 

そんな会話が、毎週末、繰り返されていた。

 

********

 

ある日の深夜、仕事を終えて帰宅すると、居間の床の上に作文が。

長男が小学校で書いたものらしい。

 

拾い上げて読むと、「ぼくが、じゃがいもが、すきで、おいしい」といった具合の、珍妙な文章が並んでいる。

 

「さすがに、まだ小1か」と苦笑しながら、読み進むと、目に飛び込んできた、最後の一文が。。。

 

「わたしからの、はなしは、いじょうである」

 

 

 

(イラスト:鵜殿かりほ)