金融経済イニシアティブ

子ども、生まれるの記(2)

2022.01.04

前回の続きである(2021.11.16.「子ども生まれるの記(1)参照)。

30年以上前の話だ。

 

第一子

第一子の出産予定日の10日ほど前。

東京に台風がやってきた。

 

「台風が来ると、子どもが生まれやすい」という説は、少なくともわが家では本当だった。

 

夜、妻が「産まれそうだ」と言い出した。

産院は車で20分ほどかかる。

慌ててタクシー会社に電話をするが、つながらない。台風間近である。

 

 

自宅を出て大通りでタクシーを拾おうとするが、空車は全く見当たらない。

空車らしき車は、みな「回送」の表示を出している。焦る。。。

 

 

思案の末、大通りの交差点に移動。

交差点の角には、交番がある。

「回送」表示のタクシーを止めて、事情を話そう。いざとなったら、お巡りさんに支援をお願いしよう。

 

幸い、信号待ちをしていた1台目の「回送」タクシーが、快く応じてくれた。

そのまま自宅で妻を乗せて、病院に駆け付ける。

 

父は結構がんばりました。

長男は覚えていないようだが。。。

 

ラマーズ法

     (注)前回記したように、私たち夫婦は出産準備として事前にラマーズ法の講義を受けている。

 

病院では、待機用の部屋に案内された。

 

ベッドに横になる妻は、繰り返し、陣痛に見舞われる。

ここは一番、私の出番にちがいない。

 

えっと、なんだっけ?

 

ハッハッフ~だったか?

いや、ヘッヘッフ~か?

いや、ヘィヘィホ~か。ん? そりゃ、ないな。それじゃ「与作」だ。

 

陣痛に苦しむ妻に尋ね、「ヒッヒッフ~だ」と叱られる。

おぉ、そうだった。

 

 

それでも出産まで12時間かかった。

 

いよいよ誕生の時、結局、私は分娩室の隅で縮こまるばかりだった。

妻の手をにぎり、「ヒッヒッフ~」を実践するなど、、、、到底考えられなかった。。。

 

第二子

3年後、第二子は自宅近くの町医者(産科)で出産することになった。

 

妻は、ここでも立ち会い出産を申し込んできた。

 

むむ。。。

しかし、そこはそれ、「家庭安寧」を第一とする私だ。抵抗しない。

ん? 前回書いたか?

 

 

午後5時ごろ、妻から「陣痛が来たので、病院に行く」との電話があった。

 

ふ~む。前回は12時間かかったな。

。。。

 

仕事を片づけ、職場を出たのは午後7時頃。

電車とタクシーで病院にたどり着いたのは、8時過ぎだった。

 

と、そのまま分娩室に呼び込まれる。

もう産まれそうだという。

 

ありゃ。

あわてて分娩室に入る。

と、5分もしないうちに、長女が産まれた。

 

私は、今回もただ隅で縮こまるばかりだった。

妻の手をにぎり、「ヒッヒッフ~」を実践することはやはりなかった。。。

 

それでも毎回涙腺が緩くなるのは、なぜだろう。

妻と子供たちに感謝。

 

あ、定刻運転の電車にも感謝。

間に合わなければ、妻から一生言われるところだった。

 

 

(イラスト:鵜殿かりほ)