引っ越し騒動記
2021.01.16昨年夏、引っ越しをした。20年ぶりの転居である。
20年前といえば、インターネットすら、ほとんど普及していない時代である。知らないことが多すぎる。
写真整理
これを機に、撮り貯めた写真をデジタルに移し替えて、現物は処分することにした。
山本謙三が書き綴った四方山話です。
昨年夏、引っ越しをした。20年ぶりの転居である。
20年前といえば、インターネットすら、ほとんど普及していない時代である。知らないことが多すぎる。
これを機に、撮り貯めた写真をデジタルに移し替えて、現物は処分することにした。
20数年前の話。
週末はよく自宅で仕事をしていた。
講演原稿を書くことも多かった。
いまとなっては働き方改革に反するが、当時はそのような意識はなかった。
使うのも、ワープロ専用機。
電話回線やインターネットにつながっているわけでもなく、おかげで原稿の流出懸念もなかった。
毎年の人間ドックで気になるのは、やはりメタボ関連の数値である。
受診1週間ほど前から食事を減らし、当日に備える。
「一時しのぎ」と言われようと、そのそもの私の人生が一時しのぎの連続である。
私自身が所属していたわけではないが、母校の中高(一貫制)には新聞部があった。
当時は、大学の学園紛争が盛んな頃。年3回、学期末に配られる学校新聞も、先鋭な問題意識を披歴していた。
とはいえ、新聞である。エンターテインメント性も意識し、クラブ活動を中心にスポーツ欄、文化欄も充実していた。
20年近く前のこと。
中1の長男が、貯めたお金で桑田佳祐のコンサートに行きたいと言い出した。
妻は、贔屓(ひいき)のアーティストのコンサートやサッカー選手のサイン会に、手製のうちわをもって出かけるような女性である。
一も二もなく息子に賛同し、私の預かり知らぬところで話は進んでいた。
2005年春、ニューヨークからアルゼンチンに出張した。
同国中央銀行が周年事業にあわせて開催する金融コンファレンスに、パネリストとして呼ばれていた。
コンファレンスの前日午後、ブエノスアイレスの空港に到着した。
空港では、担当の職員が出迎えてくれた。
ホテルへ向かう車中、先方が「今晩、ゲストスピーカーとパネリストを、お礼に夕食会に招くことになっている。出席してもらえないか」と尋ねてくる。
ごく一般的な、昔の日本家庭に育ったために、料理を身につけることはなかった。
小さいころの記憶といえば、家庭科の授業でほうれん草のソテーをつくったぐらいだ。
おかげで、単身赴任の際には苦労することになる。
そんな話を職場の先輩にしていると、「料理なんて簡単だ」と言う。
「マグロのぶつ切りと納豆を買ってきてな、しょうゆと混ぜて、ご飯の上にのせる。ほれ、『マグロ納豆どんぶり』の出来上がり。」
ふ~む、料理人の片隅にもおけぬな。
武蔵野にNTTの技術史料館がある。
ベル電話機に始まり、黒電話、自動車電話からモバイルまで、一連の機器が展示されている。一つ一つに自分自身の思い出が重なるのは、人間がコミュニケーションの動物だからか。